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飲食店オーナーの健康管理|倒れない体が、いちばんの設備
今日も、最後のお客さまの背中を見送ったのは、日付が変わるころでした。洗い場の湯気がようやく引いて、フロアの椅子を上げ、レジを締める。ふと気づくと、自分は今日まだ一度も座って食事をしていません。まかないは仕込みの合間に、立ったまま数口だけ。帰り道、コンビニの明かりに吸い寄せられて、弁当と缶ビールを抱えて帰る。そんな夜が、もう何年も続いてはいないでしょうか。引き出しの奥には、封を切っていない健康診断の案内が一枚。「忙しいから、また今度」。その「今度」がなかなか来ないことを、たぶんあなた自身がいちばんよく分かっています。
あなたの体だけが、どのシフトにも入っていない
飲食店という仕事は、つくづく体が資本だと思います。仕込み、火の前、ホール、レジ締め、翌日の発注。そのすべてが、オーナーであるあなたの体ひとつを軸に回っています。にもかかわらず、その肝心の体だけが、なぜか誰のシフト表にも入っていません。スタッフの休みは組むのに、自分の通院日は組まない。それが飲食店オーナーの、ごく当たり前の風景になってしまっています。
会社勤めなら、年に一度は健康診断の日が向こうからやってきます。けれど自営業のあなたには、それを用意してくれる人がいません。自分で予約し、自分で店を半日空ける決断をしない限り、健診の機会は永遠に訪れないのです。
実際、自営業の方が多く加入する国民健康保険では、特定健診の受診率が他の保険にくらべて低い水準にとどまっています。国民健康保険中央会の集計でも、市町村国保の受診率は全国目標の70%に届いていません。「いつでも病院に行けるから」「時間が取れないから」。理由はさまざまですが、結果として、不調のサインを見逃しやすい立場に、私たちは置かれています。
そこへ重なるのが、この仕事ならではの生活リズムです。営業を終えてからの遅い食事、立ちっぱなしの一日、休む間もなく続く繁忙。睡眠は削られ、食事は不規則になり、腰や膝には静かに負担が積もっていきます。「倒れられない」という思いが強い人ほど、かえって自分の体を後回しにしてしまう。その皮肉に、どこかで気づいていらっしゃるかもしれません。
完璧な健康法ではなく、今日できる小さな一歩を
生活を丸ごと変えるなんて、今のあなたに無理な相談です。だから、ほんの小さなことから始めましょう。
まずは、年に一度の健康診断を「いつかやること」から「予定」に変えてしまうこと。定休日の午前など、動かしにくい日をひとつ決めて、先に予約を入れてしまうのが確実です。決めてしまえば、あとは行くだけ。これが、いちばん効く一歩になります。
次に、睡眠です。厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」は、成人の睡眠時間として6時間以上を目安に挙げています。ただ長さだけでなく、「ぐっすり眠れた」という休養感も大切だとしています。同じガイドでは、寝るための飲酒や就寝直前の夜食は控えること、寝室にスマートフォンを持ち込まないこと、カフェインの取りすぎ(コーヒーにして1日4杯ほどが目安)に気をつけることが挙げられています。営業後の一杯が習慣という方も多いですが、寝酒はかえって眠りを浅くします。少し量を減らすだけでも、翌朝の体は変わってきます。
そして、立ち仕事の体そのものへの手当ても忘れないでください。厚生労働省は職場の腰痛予防として、日頃のストレッチや軽い運動、入浴での保温、十分な睡眠を勧めています。閉店後にほんの一分、ふくらはぎと腰を伸ばすだけでいい。積もる前に、こまめにほぐしてやることが肝心です。
食事も、完璧を目指す必要はありません。一日に一度でいいので、座って、まかないをちゃんと味わう五分をつくる。それだけで、胃にも心にも余白が生まれます。
専門家の視点:睡眠不足は、静かに経営をむしばむ
「睡眠くらい削っても大丈夫」と思っていないでしょうか。けれど厚生労働省のe-ヘルスネットは、慢性的な睡眠不足や不規則な睡眠リズムが、生活習慣病にかかるリスクを高め、その症状を悪化させると指摘しています。寝不足は食欲のバランスも乱し、つい食べすぎてしまうことにもつながります。深夜営業と相性の悪い体の仕組みが、確かにあるのです。
近年、国は「健康経営」という考え方を広めています。これは経済産業省が旗を振る取り組みで、働く人の健康への投資が、生産性の向上や組織の活力につながるという発想です。本来は従業員に向けた話ですが、人数の少ない飲食店では、オーナー自身の健康こそが最大の経営資源にほかなりません。あなたが元気でいることが、そのまま店の安定につながります。
なお、ここで触れた数字や目安は、あくまで一般的な情報です。気になる症状や持病、抜けない疲れが続くときは、自己判断せず、かかりつけ医や専門家に相談してください。体に関する判断こそ、専門家の力を借りるのがいちばん安心です。
「自分は最後」という癖を、少しだけ手放す
飲食店の仕事は、お客さまが最優先、次にスタッフ、そして食材。気づけば、自分の順番は、いつも最後になっています。その姿勢こそが、あなたの店をここまで支えてきたのも事実でしょう。けれど、健康のことだけは、その順番を一度だけ入れ替えてみてください。自分を後回しにし続けた結果、いちばん困るのは、ほかでもない、あなたを頼りにしている人たちだからです。
営業後の遅い時間に、空腹のままドカ食いをして、お酒で流し込む。その習慣が続くと、胃も体重も、静かに悲鳴をあげます。完璧な食事は無理でも、汁物をひとつ添える、野菜から先に口にする。ささいな工夫が、深夜の体への負担をやわらげてくれます。
血圧計をひとつ買って、週に一度だけ腕を通してみるのもいい。気になることを気軽に話せる、かかりつけのお医者さんを一人持っておく。それだけで、「何かあったとき」の初動が変わります。自分をいたわることは、わがままではなく、大切な人たちのために店を続ける、いちばん地道な備えなのです。
同じ立場の、誰かの小さな決断
ある個人店のご主人は、五十を過ぎて初めて健診を受けました。そこで早めに見つかった不調をきっかけに、生活を少しだけ見直したと言います。「店のために休めない、とずっと思っていた。でも、自分が倒れたら店そのものが消えるんですよね」。その当たり前に、検査結果の紙を前にしてようやく気づいたそうです。
別の店では、オーナーが「まかないは全員、必ず座って食べる」と決めました。立ち食いの数口をやめて、たった十分でも腰を下ろす。それだけで、自分だけでなくスタッフの表情まで和らいだと言います。健康への小さな配慮は、巡り巡って店の空気そのものを変えていきます。
明日を、ほんの少し軽くするために
あなたが守っているのは、店の味であり、常連さんの居場所であり、スタッフの暮らしです。けれど、その全部を支えているのは、ほかでもないあなたの体ひとつ。店でいちばん大切な設備は、ピカピカの厨房機器ではなく、あなた自身なのかもしれません。
今日すぐに何もかも変えなくて大丈夫です。まずは、健診の予約をひとつ。受話器を取るその一分が、半年後のあなたを、きっと少しだけ軽くしてくれます。
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参考・引用元
- 厚生労働省「健康づくりのための睡眠ガイド2023」 https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/001181265.pdf
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「睡眠と生活習慣病との深い関係」 https://kennet.mhlw.go.jp/
- 国民健康保険中央会「市町村国保 特定健診・保健指導実施状況」 https://www.kokuho.or.jp/statistics/tokutei/sokuhou/
- 経済産業省「健康経営」 https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kenko_keiei.html
- 厚生労働省「職場における腰痛予防対策」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_31158.html